七田校長の「パソコン音痴からの道のり」3
~Time spent studying for qualifications ~

<< 前へ 次へ >>
目次

七田校長の「パソコン音痴からの道のり」3

~  資格取得の勉強に費やした時代 ~

1997~ シスアドの勉強とシステム検討委員会の仕事

検討委員会事務局で私にあてがわれた仕事は「書記」。つまり、会議の議事録や文書作成。
やはりコンピュータの知識不足がたたり、議事録を作るだけでもずいぶん苦労した。

務めている職場と似たような業態で、IT化に成功している会社に依頼し、訪問して、そこで稼動しているコンピュータシステムについて、その会社の担当者からいろいろ説明をして頂くことになった。

とりあえず相手の話していることをメモしていく。が、この時点で相手の言っていることが私にはチンプンカンプン。
意味も分からないまま、耳に飛び込んでくる言葉をだらだらノートに書き留めるという作業を、ただひたすらやらなければならなかった。これを調査報告にして、あとで検討委員と関係者全員に配付しなければならないのだ。

さて、帰って報告書をまとめる段になると、当然だが今度は自分で書いたメモの意味が分からなかった。書いた単語同士のつながりも分からない。「こんなことしゃべってたっけ?」というような単語も。困ったことにカタカナばかり。それが、まごうことなき自分の字で書いてあるのだ。

苦し紛れに、意味不明の単語同士を、適当に接続詞でつなげてみた。じゃーん!意味不明な文章のできあがりだ。「いつ・だれが・どこで・どうしたゲーム」で出来上がった文章だってここまでヒドくはないだろう。むなしい作業だった。

真面目にやることにした。シスアドの参考書を開いて、単語を索引からたぐってみる。単語の意味を調べるつもりだったが、なんと、開いたページに、担当者が説明していたことを上手にまとめたような文章が出てきたのだ。そこで、自分のメモと参考書を交互に照らし合わせてみた。そうしたら、「ああ、あの担当者はこういうこと言ってたのか」というようなフレーズがけっこう出てきたではないか!
成功しているシステムというのは、つまるところ基本に忠実に作られているものなのだろう。

苦労しながらも、まるで辞書で翻訳するように、自分の拙いメモを新しい文章に変えていった。あとは勘が頼りだ。やっているうちにだんだん面倒臭くなって、参考書の文章を、相手の話したこととしてそのまま丸写ししたり、相手が言っていないようなことでも、「この表現、気が利いてるよな」というフレーズがあればそのまま拝借したりした。
かくして、調査報告の出来上がりである。

恐ろしいことに、この頃私が書いた報告書や議事録は、シスアドの参考書からそのまま拝借してきたフレーズのオンパレードだった(笑)。

しかし、参考書1冊を繰り返し読むうちに、だんだん要領を得るようになってきた。

議事録は、これまでの、参考書の文章の一部をそのまま抜き書きしたり、専門用語をそのまま拝借してそれらしい言葉に置き換える方法で、気の利いた文章を作る技に磨きをかけた。つまり、やり方は何も変わっていないということだ。
名付けて「パクリ戦法」(勝手に命名!)。開き直って罪の意識がなくなった分、最初の頃よりも仕上がりがずっと早くなった。

シスアドの履修項目のひとつとして、ダイアグラム(図解)の活用方法というのがあるが、委員会の文書に図を添えて会議で配付したりすると、会議の意思決定が暗黙のうちに、自分が工夫して作った図を中心に進行していくことが多く、それがとてもうれしかった。

委員会の書類には可能な限り自作の図を添えるようにしたし、委員や上司に個別に依頼されることもあった。もちろん、依頼されれば喜んで作った。

システムについての知識だけでなく、職場の業務の流れを分析したり整理したりする作業をとおして、全体から見た仕事の本質的な仕組みも、少しずつではあるが、だんだん頭に入ってくるようになった。

 

1997~ DTPの勉強

委員会の仕事とは別に、日常の業務は実は「企画課」という部署に配属されていた。「企画」とはいっても、何かイベントを企画するような仕事ではなく、簡単に言えば対外的な渉外を行ったり、職場の各部門のデータを取りまとめて冊子を作ったりする仕事だった。

各部署から届けられた資料を取りまとめて冊子に仕上げる、という作業にけっこうな時間を割いた。シスアドのにわか知識で、こういう仕事は「社内DTP」を導入すると効率的、ということがわかった。これは、DTP(デスクトップパブリッシング)ソフトを使って職場の資料や文書等のフォーマットを一括管理するというものだ。そこで、そのDTPとやらの勉強を始めてみることにした。

利用する学習カリキュラムとして、「DTPエキスパート認証」という資格の勉強を始めることにする。これは専門の学校に通うことにした。

ここで、IllustratorやPhotoshopなど画像処理ソフトやQuarkExpressなどDTPソフトの実習を一から勉強した。ただこの試験、実は学科が中心で、色、印刷技術、製本工程、コンピュータ環境、システム設計、品質管理など、多岐に渡る分野から出題されるため、それら学科の授業に多くの時間が割かれた。この勉強は全く未知の世界で非常に楽しかった。

デザイン論の授業もあった。これは毎回宿題が出た。

「次回は、自分のベストコーディネートと思われる服装をしてくるように」
というのがあった。

次の回ではそれについて、じゃあなんでその組み合わせを良いコーディネートと思うのかを、講師から徹底的に問い詰められるのだ。

私はジーパンしか持っていなかったので、黒のセーターに穴の開いたジーパンという格好で臨んだところ、早速、
「何でジーパンなんだ」
という突込みが入った。
「デニムは何にでも合うから・・・」
と苦し紛れに答えたら、
「デニムが何にでも合うという根拠は?」
と突っ込まれた。

さんざん絞られたあげく、「デニムは何にでも合う」ということについて論理的に説明できる根拠はなく、「むしろ黒のセーターが何にでも合うから、とりあえずそのコーディネートは成功している」という評価が下された。
ちなみに「黒のセーターが何にでも合う」の根拠としては、「黒」という色には色彩学的に全ての色が含まれているから、ほかの色と合わせ易いというのは論理的に説明できることなのだそうだ。

そのほか、「これぞ赤、と思うものをひとつ持って来い」というのがあった。

私は何とか講師の裏をかいてやろうと思い、知恵を絞ったあげく、いなかっぺ大将の大ちゃんが赤フンで踊っている絵をわざわざモノクロにして持っていった。
もちろん理論武装も完璧だった。
「赤」という知覚は、あくまでも脳内での認知の問題。実際の色がどうであれ、明確に「赤」を想起させる強いイメージさえ与えられれば、人間は頭の中でどんどんそのイメージを増幅させ、赤はより鮮明な赤として頭の中で再生される。それが結果的に強く印象に残るのだ。講評の際には絶対にそう答えてやろうと前の日ひとり部屋にこもってリハーサルまでして準備万端だった。

ところが当日自分の講評の番になって、講師は私の提出物を一べつし、
「君はマニアックすぎる」
とつっこんだだけで、話は終わってしまった。

この授業をとおして、商業デザインについて初めて意識するようになった。

委員会では、今後の職場のシステムの青写真が出来上がり、これをさらに具体的にするため、システム検討委員会の組織が改めて再編成されることになった。
ようやく事務局を放免かと思っていたら、今度は検討委員に。
更に悪いことには、委員会の仕事でもいっぱいいっぱいなのに、通常の業務まで一般的な事務の部署からシステム管理の部署に異動。

 

 

1998~ ウィンドウズに関して全く知らない自分

実際にシステムの現場に入って実務を続けていくにあたり、さすがに限界を感じるようになってきた。

これまでやってきたのはあくまでも机上の作業でしかなく、それにインチキ極まりない「パクリ戦法」など、ふざけ過ぎている。本質的には良く分からないままダマシダマシここまで何とかつなげてきただけだ。
でもその頃の私は、なんだか職場でも「そこそこコンピュータの分かる男」みたいな感じになってしまっている。
しかし実際に実機の前に座って作業をすると、当然のことながら、実践的な技術が伴なっていないことは明らかだった。

そしてもうひとつが、ウィンドウズに関する知識が皆無であったことだ。
この職場は事務系だが、全てがマッキントッシュ。社会人になって始めて触ったパソコンがマッキントッシュだったしそれ以降触ってきたのもずっとマッキントッシュだった。それは例えば卵から孵ったばかりの雛鳥が、最初に目にしたものを母と思うように、私にとってパソコンといえばマッキントッシュだったのだ。
ところがほかの企業などでヒアリングをすると、ほとんどがウィンドウズ。システム関係の参考書もウィンドウズを前提に書かれているものばかりだ。

こんなことがあった。

六本木の職場の近くに新しくインターネットカフェが出来たので、勉強会のつもりで上司と同僚を誘って行ってみることにした。(当時職場はインターネットに接続されておらず、皆インターネットも見たことがなかったのだ!)

席に通されると、その時の機械が「ウィンドウズ95」で、ブラウザソフトが「ネットスケープナビゲーター」。既にヤフージャパンが立ち上がっていた。

早速キーワード欄に文字を入れようとするが、アルファベットしか入らない。ウィンドウズで日本語入力するにはどうしたらいいんだろう。なんとシステムを管理している人間が3人もいて、ウィンドウズで日本語を入力する方法を知る者がひとりもいなかったのだ。

しかたなく店の人を呼ぶことにした。スタッフブースから、胸元の大きく開いた、ぴっちぴちの豹柄シャツを身にまとったお姉さんがヒールの音を高らかに鳴らしてやってきた。
事情を話すとそのお姉さん、やおら上体をかがめ、指一本でキーボードのどれかをひとつポンっと叩くと、黙ってさっさとブースの方に戻って行ってしまった。
一瞬のことで、私は不覚にも別の場所に気を取られており、お姉さんがどのキーを押したのか見逃してしまった。

それでも日本語が入力できるようになったので、3人はフンフンと感心しながら順番にキーワードをいろいろ入力しては検索し、インターネットを満喫した。

ところがそのうち、誰かがうっかりウインドウの閉じるボタンをクリックしてしまったのだ。
もう一度インターネットを起動したが、なんと、入力モードがリセットされてしまい、再び日本語が入力できなくなってしまった。そして残念なことに、誰一人、さっきお姉さんが叩いたキーをちゃんと見ていたものはいなかった。

さすがにもう一度お姉さんを呼ぶ勇気もなく、勉強会がそこでお開きになったのは言うまでもない。

つづく

<< 前へ 次へ >>

 

目次