七田校長の「パソコン音痴からの道のり」4
~ Encounter with Windows ~

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七田校長の「パソコン音痴からの道のり」4

~ Windowsとの出会い ~

1998~ MCSEの勉強とシステム開発の仕事

いよいよウィンドウズのサーバーやネットワークの実務を実践的に身に付ける必要性を感じ始める。

というのは、検討委員会の話の流れで、なんだか職場のコンピュータがマッキントッシュから、これまでほとんど触ったことのないウィンドウズに変わるようなムードが出始めたのだ。

これには現場の社員から強い反発があった。使い方に慣れているマッキントッシュをやめ、なんで今さら不慣れなウィンドウズに変えなければいけないのだ。
委員会にも現場にも所属している自分は微妙な立場だったが、何かものを言うためにはウィンドウズの操作方法を知っていなければいけないと思った。それに、万が一ウィンドウズに切り替わった場合、そのシステム管理の役回りは、おそらく自分に降りかかってくるだろう。

まず着手しなければいけないのが、ウィンドウズの一般的な操作。いわゆる「ごく普通の操作」が普通にできなければいけない。前述のとおり、日本語入力さえろくにできないのだ。これには、安いパソコンを自宅に購入することにした。

もうひとつは、ウィンドウズのサーバーやネットワークなど、システム管理についての実践的な専門知識。これはやはりどこか学校に通わなければいけないだろう。

当時私は、資格試験のカリキュラムが、コンピュータを統括的に学習するのに最適な教材となることを、シスアドやDTPの勉強をとおして実感していた。そこで今度は、難関ではあるが、MCSEという資格の勉強を開始。池袋にあるD社のコンピュータスクールに通い始める。
受講料は締めて80万円。当時MCSEの試験対策を実施する学校は、企業研修を対象としたものがほとんどで、個人を対象に教えてくれるスクールはD社しかなかった。お金がかかる、というのは常識だった。

MCSEの資格は全部で6試験をクリアしなければいけなかったが、そのスクールでは、そのひとつ目の試験対策の際、洋書を直訳したまんまの分厚い本を1冊買わされただけでいっさい指導がなかった。

指導を請いに担当インストラクターの元に行ったところ、
「とにかくこの本1冊を最低3回は読んでください。読むときには必ず蛍光ペンを使ってください。」
とのアドバイス(?)を受けたのみ。実機には一切触らせてもらえず。

しかも、この直訳本の難解さには本当に参った(笑)。いったい誰がこんなカタカナ用語の使用を日本で認めたんだ!と思うくらい、「初耳」な外来語のオンパレードで、しかもそんな「意味不明なカタカナ」を使って、「理不尽極まりない文法」で、「なんだかワケの解らないもの」についてあれこれ説明されている。これはひょっとすると理解できてしまう方が変態なんじゃないだろうか?あー実機に触りたい。

私はこの本を、怒り狂いながら3回読んだ。本当にカンカンに怒りながら、頭を掻きむしりながら3回読んだのだ。

結局、最初の1試験目は自力で半年かかってようやく合格。
(後日、別の学校で知り合った友人にそのことを話したところ、「ドッグイヤーのご時世に随分遠大な計画だね」と一笑されたものだ。)

職場のコンピュータが、ウィンドウズに移行することに決定。これに伴ない、新しいウィンドウズのネットワーク設計やシステム開発を担当することに。

 

 

1999~ 名ばかりの資格スクール

スクールでは、ようやく実機を使った実習をすることに。
ただ、実習とは名ばかり、サーバールームが開放されているのみ。やはり別の分厚い本を1冊買わされ、
「サーバーは好きに使っていい。インストラクターによる指導は原則ボランティア(?!)なので常時待機はしていないが、たまに通りかかれば上手に捉まえて質問してくれてもよい。」
とのこと。
高額なサーバーマシンを、個人に触らせてやっているだけでありがたいことなのだということか。

早速サーバールームに行ってみたが、インストラクターはおろか他の受講生もおらず、最初の予約日などは何もできないまま途方に暮れて4時間を過ごした。
ある日ようやくインストラクターがつかまったので、これまでたまりにたまった質問をぶつけたところ、なんとインストラクターがシドロモドロに・・・。

トータル80万円の受講料は払ってしまっていたが、このさき費やすであろう不毛な時間に拘束されるよりは、残りの時間を買い戻すつもりでこのスクールに見切りをつけた。
ここで学んだのは、唯一蛍光ペンの引き方のみ。
(今の自分なら当然返金を求めるところだが、当時の私は、そういうことを全く思いつかなかった。)

教育訓練給付金を活用して、新しく新宿にできたH社のコンピュータスクールに入学。自己負担額は数万円。
(安い!当時、給付金は8割補助だった!)

ここで直接指導を受けた先生は、何という奇遇か、前述D社の元インストラクターで、社の指導方針を嫌ってこちらに転職したという経歴の持ち主。

実機を使ったきめの細かい指導により、3ヶ月で残りの5試験を全てクリア。学校選びの重要さをつくづく実感。毎回居残って食い付くように質問を投げる私に、辛抱強く付き合ってくれたこの先生には本当に感謝!

 

 

1999~ IT資格を目指す素敵な面々

ちょうどこの頃は、個人を対象にしたIT資格のスクールがいっせいに立ち上がり始めていた。受講料は完全に値崩れを起こしていたし、サービスも各社競うようにどんどん向上していた。自分は本当に時代の変わり目にいたのだ。このことは、H社への入学時からすでに、十分感じられたことだった。

H社入学前に参加したIT資格コース説明会で、実はこんなことがあった。

会場には、スーツ姿の、本当に若いビジネスマンがわんさか集まっていた。
数ヶ月前のD社の説明会の時には、私一人だけだったというのに・・・。

中に一人、頭にタオルで鉢巻をした労務者風の厳ついお兄さんが混じっている。ニッカポッカをはいた両脚を180度近くまで開き、パイプ椅子に極端に浅く座って反り返っているため、一見すると仰向けに寝ているようにも見える。風貌は安田大サーカスのクロちゃんそっくりだ。時はいつの間にかIT真っ盛り。渋谷がビットバレーと呼ばれITベンチャー企業の林立が注目され始めた時代だった。

説明会のプレゼンターはまず、
「何がきっかけで、ここにいらっしゃいました?」
とにこやかに問いかけた。ほとんどの参加者が、「転職」や「起業」という答え。もちろん私のように業務上必要に迫られてやって来た者もいたが、そんな中、例の鉢巻男は腕組みをしたまま、
「かみさんに行ってこいと言われたから来た!」
と、スクールウォーズの頃の松村雄基を思わせる、丹田から吐き出すような声で言い放った。当時「IT」という言葉は魔法でもあったのだ。(彼から発せられた声は、クロちゃんばりのカウンターテナーではなく、まるで虎のようだった)

プレゼンターは更に参加者に向かって、
「このところの急速なITの変化には、皆さん驚かれているのではないでしょうか」
と振ってきた。やはりほとんどの参加者は、
「そうですね、驚いてます」
「チャンスだと思っています」
といった答えがほとんど。
でも私の場合、世の中のITへの変な加熱ぶりがとても不愉快だったし、日頃から、自分の仕事へのトバッチリには「ほとほといい迷惑」くらいにしか思っていなかったので、
「驚くも驚かないも無い!」
などと答えてやろうと淡い野望を抱いて緊張していたところ、プレゼンターがマイクを向けたのは、またも例の鉢巻男。どうしても彼の意見を聞いてみたかったのだろう。
マイクを向けられても空(くう)を見据えて黙っている鉢巻男に、よせばいいのにプレゼンターが輪をかけたような満面の笑みをたたえて
「どうです?驚かれているでしょう?」
と追い打ちをかけると、彼は憮然として、
「ちょっとやそっとのことじゃ驚かない!!」
と豪快にのたまってくれた。彼とはぜひとも友達になりたかったが、入学後、私が割り振られたクラスに残念ながら彼の姿は無かった。

それでも、私のクラスメイトは思いのほかバリエーションに飛んでいた。
渋谷にベンチャー企業を立ち上げる予定の青年1名、人当たりの良い商社マン1名、アキバ系で吃音の強いネットワークエンジニア志望のフリーター1名、資格で異業種転職を狙う寡黙な環境エンジニア1名の計4名。そのうち、ベンチャー青年を除いた全員と仲良くなった。

ベンチャー青年は、起業にあたり、名刺にIT資格のロゴマークを入れてハクを付けたいという理由で受講していたらしく、途中からいなくなってしまった。

商社マンは、良くは分からないが
「アメリカの企業との契約文書をネットでやり取りしているがアメリカに比べ今の日本の暗号化強度が低く取引に支障をきたしている」
というようなことをこぼしていた。そんなことを言われたって当時の私にはさっぱり意味が分からなかった。

アキバ系のフリーター氏は私にマニアックなコンピュータ雑誌を見せてくれて、これがものすごく面白いんだというようなことを、ドモりながらも嬉しそうに一生懸命話してくれた。
彼からは卒業後ほどなくして
「MCSEゲットだぜぃ!!」
という素敵なタイトルのメールをもらったが、彼のメールの中のキャラクターは、私が直接会って知っている彼とはおよそかけ離れた、恐ろしく饒舌でひょうきんな人格として完全に確立されていた。きっとメールの中の彼が本当なのだろう。

寡黙な環境エンジニアは、資格取得後、見事データセンターへの異業種転職が決まって一緒に祝杯をあげた。

彼らとの話は面白く、彼らとの対話の中でようやくITを取り巻く時代の大きな動きや、後戻りできない厳しさを、本当にリアルに感じることができた。そして何より、自分がITに振り回されている、という意識からようやく開放されることになった。

職場では、システム開発完了後のサーバー管理、ネットワーク管理、ドメイン管理も継続して担当。MCSEの勉強期間と職場で実機を扱う期間がぴったり一致していたため、理想的な環境となった。効果的に学習することができた。
ただできれば、スクールへは、職場からの研修として受講したかった。(過渡期には、だいたい教育など後手に回ってしまうものだ・・・)

つづく

 

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