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七田校長の「パソコン音痴からの道のり」1
~ コンピューターと出会う前 ~
1965~ 長崎県佐世保市に生まれ育つ
海と山に囲まれた環境で少年時代を過ごす。
子どもの頃は、昆虫や生き物が大好きで、起きている時間の大半は虫や花と戯れていた。
学校から帰るとすぐに裏山に入り、虫をいじったり、カナヘビ(トカゲの一種)を肩にとまらせて歩くような少年だった。部屋では、いつも何かの「幼虫」を飼育していた。
また、絵を描くことが好きで、母の奨めでお絵かき教室に通い、小学生のころから油絵を始めた。
当時の夢は、昆虫学者か画家。子どもは単純なのだ。
(下)小学校のころに描いた油絵
1979~ 中学、高校時代は千葉県で過ごす
13歳の時、父の仕事の事情でこよなく愛した佐世保市を離れ、千葉県船橋市に移転。
やはり絵が好きで、中学、高校とずっと冷めることなく画家になることを夢みた。
当時はかなりの数の自画像を描いていた。
今見ると、思春期の自画像は自分で目を覆いたくなるほど恥ずかしい、自意識過剰な暗いものばかりだ。自意識過剰は今も変わらないが。
(下)左から、14歳の自画像、16歳の自画像、16歳頃の風景画、17歳頃の静物画
好きな画家は佐伯祐三、青木繁。
基本的に、緻密な理論で武装したような作品には興味を持たず、情動的な気質の画家に強く引かれた。
ライバルはパブロ・ピカソ ww
子供のころ、祖父母の家に名画全集があって、ピカソの本を開くと彼の5歳の頃のデッサンとか、13歳のときに描いた油彩画などを見ることができた。それで毎年、ピカソが自分と同じ歳に描いたデッサンや油彩画などを見て、「ああ、負けた・・・」と。勝手に嫉妬していた。このぐらいの馬鹿でなければ、美大を受験しようなんてことにはならない。
ちなみに、私は今のところ、ピカソにまだ1勝もしていない w
(下)ピカソの子どものころのデッサン、油彩画
1984~ 日本大学芸術学部美術学科に入学
専攻は油彩画。人物画が好き。本気で画家になろうとしていた。
この夢、今も捨ててはいないが・・・
実はこの頃、もうひとつ夢があって、「喫茶店のマスターなんていいなぁ・・・」とも思っていた。この夢も、まだ捨てたわけではない。
大学のある江古田というところは、日本一喫茶店の多い街。そんなわけで当時私は喫茶店徘徊三昧。
(下)在りし日のプアハウスと、今も在るトレボン
1985年~ 神田、銀座でグループ展数回
絵だけでは食っていけないため、一応就職活動も。
絵しかアピールするものがないので、面接会場に自分が描いた油絵をまとめたアルバムを持参し、「創造的な分野できっとお役に立てると思います!」とか何とか今思えば信じられないようなことを言って面接官に食い下がっていた w。もちろん全て撃沈 ww
(下)大学在学中の作品。
何しろ人物画を描きたかったので、アトリエの友人たちに片っ端からモデルになってもらった。絵を描く人間にモデルを頼むと、こちらからあれこれ指示しなくても、勝手にいい感じのポーズを取ってくれるのでとても楽だった。(クリックすると拡大表示されます)
つづく
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