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七田校長の「パソコン音痴からの道のり」
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1997~ シスアドの勉強とシステム検討委員会の仕事
検討委員会事務局で私にあてがわれた仕事は「書記」。つまり、会議の議事録や文書作成。やはりコンピュータの知識不足がたたり、議事録を作るだけでもずいぶん苦労した。
ある会社に訪問して、そこで稼動しているコンピュータシステムについて、その会社の担当者からいろいろ説明をしてもらうことになった。
とりあえず相手の話していることをメモしていく。が、この時点で相手の言っていることが私にはチンプンカンプン。
意味も分からないまま、耳に飛び込んでくる言葉をだらだらノートに書き留めるという作業を、ただひたすらやらなければならなかった。これを調査報告にして、あとで検討委員と関係者全員に配付しなければならないのだ。
さて、帰って報告書をまとめる段になると、当然だが今度は自分で書いたメモの意味が分からない。書いた単語同士のつながりも分からない。「こんなことしゃべってたっけ?」というような単語も。困ったことにカタカナばかり。それが、まごうことなき自分の字で書いてあるのだ。
苦し紛れに、意味不明の単語同士を、適当に接続詞でつなげてみた。じゃーん!意味不明な文章のできあがりだ。「いつ・だれが・どこで・どうしたゲーム」で出来上がった文章だってここまでヒドくはないだろう。むなしい作業だった。
真面目にやることにした。シスアドの参考書を開いて、単語を索引からたぐってみる。単語の意味を調べるつもりだったが、なんと、開いたページに、担当者が説明していたことを上手にまとめたような文章が出てきたのだ。そこで、自分のメモと参考書を交互に照らし合わせてみた。そうしたら、「ああ、あの担当者はこういうこと言ってたのか」というようなフレーズがけっこう出てきたではないか!
成功しているシステムというのは、つまるところ基本に忠実に作られているものなのだろう。
苦労しながらも、まるで辞書で翻訳するように、自分の拙いメモを新しい文章に変えていった。あとは勘が頼りだ。やっているうちにだんだん面倒臭くなって、参考書の文章を、相手の話したこととしてそのまま丸写ししたり、相手が言っていないようなことでも、「この表現、気が利いてるよな」というフレーズがあればそのまま拝借したりした。
かくして、調査報告の出来上がりである。
恐ろしいことに、この頃私が書いた報告書や議事録は、シスアドの参考書からそのまま拝借してきたフレーズのオンパレードだった(笑)。
しかし、参考書1冊を繰り返し読むうちに、だんだん要領を得るようになってきた。
議事録は、これまでの、参考書の文章の一部をそのまま抜き書きしたり、専門用語をそのまま拝借してそれらしい言葉に置き換える方法で、気の利いた文章を作る技に磨きをかけた。やり方は何も変わっていないということだ。
名付けて「パクリ戦法」(勝手に命名!)。開き直って罪の意識がなくなった分、最初の頃よりも仕上がりがずっと早くなった。
シスアドの履修項目のひとつとして、ダイアグラム(図解)の活用方法というのがあるが、委員会の文書に図を添えて会議で配付したりすると、会議の意思決定が暗黙のうちに、自分が工夫して作った図を中心に進行していくことが多く、これが結構クセになった。
委員会の書類には可能な限り自作の図を添えるようにしたし、委員や上司に個別に依頼されることもあった。もちろん、依頼されれば喜んで作った。
システムについての知識だけでなく、職場の業務の流れを分析したり整理したりする作業をとおして、全体から見た仕事の本質的な仕組みも、少しずつではあるが、だんだん頭に入ってくるようになった。
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